ふわり、ふわり、風をはらんで揺れる衣は羽のよう。

 はらり、はらり、なびく亜麻色の長い髪は風のよう。

 その腕が描くのは、夢か現(うつつ)か幻か。

 その四肢が、表情が、動きが繋ぐ、夢の国。

 されど舞い手の心は、深い闇のそのまた奥に。



世界は巡る水のよう




 詠珠(えいしゅ)国東方に位置する白歌(はっか)は、古来より舞姫が多く集まることで有名だ。

 ここには、国の守護神を祀(まつ)る国内最大の社(やしろ)、春泰社(しゅんたいしゃ)がある。

 楽師や舞い手は神へ感謝を捧げる儀式には欠かせないため、それらを生業とするものたちの育成に、特に舞姫の育成に力を入れているのである。

 ゆえに、白歌で認められたものへ、帝が直々に召し抱えたいと申し出ることもある。

 白歌で名が通っていれば、すなわち最高の技量を持っているという証明になるのだ。

 さて、その白歌に、一風変わった舞い手たちがいた。



*     *     *



 
 掲げた腕は、複雑な文様を描くように動き、観衆の視線を集める。足は自由自在に動くから、それこそ瞬く間も与えない。結い上げた髪から覗くうなじは、少女から女性へと変貌していく年頃特有の、危うい色気を醸し出す。
 ひときわ大きな鈴の音と同時に舞を止めた彼女へ、観衆は惜しみない拍手を送った。いくばくかの心づけは、銅貨であったり食材であったりした。それもそのはず、ここは百歌の外れ、農民たちが暮らすところなのだ。
「瑞紀(みずき)! 良かったよ!」
「あたしらなんかにゃ勿体ないくらいの舞姫さまだよっ」
 瑞紀は微笑んで、再度頭を下げた。そうしていると、年相応に見えるとは年上の楽師たちの言である。
「では今日は、このあたりでお開きに致しましょうか」
 口上を述べている楽師を置いて天幕に戻ると、突然後ろから抱きつかれた。
「みーずーきーちゃんっ」
 肩までの薄茶の髪を無造作に束ね、丈の短い簡素な上衣をまとった少年が、笑顔で肩口に顔を摺り寄せていた。
「ななな、俺、どだった!? 今日ヤバくねスゴくね上達したんじゃね!? なーなー瑞紀ちゃ」
「重い煩いやかましいっ。はーなーれーろっ」
「ああっいつにもまして手厳しいお言葉……でも、啓(けい)負けないっ」
「うーわーウザーい」
「瑞紀ちゃん今ウザい言った!? 俺ウザい!? うーわー立ち直れねー」
「立ち直る前に直せその振る舞いをっ」
「えー、やだー」
 毎日のように繰り広げられる遣り取りを止めたのは、今日もこの一段を取りしきる一人の楽師だった。
「……啓、いい加減におし。瑞紀をこれ以上怒らせたら夕餉抜きにするよ?」
「えっなんで? じゃれてるだけじゃん大目に見てよ姐さーん」
「……あんたちょっと本気で刺されたい?」
「やーだなー、物騒なこと言わないのー女の子なんだからさ。ねーお滝(たき)姐さーん」
「ん? 啓は明日の朝餉も要らないと。そうかそうか」
「や、え、マジ? ……すみません何でもないですごめんなさいっ」
 少女がゆっくり落ち着いていくのを視界の端に入れ、お滝は周囲にそっと目配せした。応じる気配。
 琵琶を受け持つ楽師の一人が瑞紀に近づいていくのを確認すると、お滝は「裏に何かありそうな」笑顔を浮かべる。
「宜しい。んじゃ啓、ちょっとこっちおいで」
「えー……まーたお説教ー?」
「文句あるかい?」
「……アリマセン……」
 すごすごと連行されていくが、それでもあとでねー、などと笑顔でいる啓へ刺々しい視線を送りながら、瑞紀は小さく息をつく。ふっと微笑む気配がしてそちらに目をやると、いつものようにお志賀(しが)の笑顔があった。
「瑞紀、お疲れ」
「お志賀姐さん……お疲れさまです」
 ふふ、とお志賀が笑みを深くするので、首を傾けた。
「どうか、しました?」
「いつもの瑞紀になったな、と思って」
「はぁ……」
 啓が瑞紀たちと行動を共にするようになったのは、つい先月のことだ。それまで最年少だった瑞紀は、初めて「ちゃん」付けで呼ばれたり、突然抱きつかれたり、神経を逆撫でされまくったりと、なかなか慣れない毎日を送っている。それまでが、ある意味単調だったのかもしれないが。
「……でも、啓と喋ってる瑞希見てると、なんか年相応に見えてほっとする」
「え、いつもの私、そんな老けてます?」
「茶化さないの。……慣れてった方がいいよ? ああしてれば、『変に思われない』から」
「……努力、します」
「ん。夕餉終わったらまた練習?」
「はい。お願いします」
「こちらこそ。もうすぐだから、手洗っといで」
 言い置いて、お志賀は手を振った。今すぐ行け、という無言の圧力に、瑞紀は逆らわない。啓と違って。
 水場へは走っていく。待たせるのは好きじゃないから。手拭を掴むと、次の瞬間には走り出した。
(顔も洗っちゃお)
 顔を洗って、化粧を落として。さっぱりしたら、きっとこの思いも晴れる。いや、晴れなければ、いけない。
(まあ、今更、よね)

 失くしたもののことを思っても、もう取り戻せない。後戻りなど尚更だ。
 大好きな舞を、自分の思うとおりに舞うことで生きていく。一度は「死んだ」身だから、もう悔いのないように。二度はない。
(啓も、嫌い、じゃ……ないんだ、たぶん)
 ちょっと、いやかなり、調子を狂わされるけれど。
 今まで会ったことのない人種だから、ちょっと戸惑っているだけ。
 全身で表現される「好き」を、彼から知った。少しずつ、世界が変わっていく気がする。
 神と、舞う自分しかいなかったあの頃から、知らなかった「世界」がどんどん開けていく。それは、少し癪に障るのだけれど――心地よい、ことだった。
 だから、「彼」に仕えることを厭わない。親族を悉く滅ぼし、何故か瑞紀だけを生かした――今上に。
 流れる水の如く、この身は世を漂い生きる。……結局のところ、自分は舞うことができれば何でもいいのだ。薄情と言われても。
「瑞紀ー!」
「はい、今行きますー!」
 急いで顔を洗って、手拭で顔を拭って。
 そして瑞紀は戻っていく。


「自分」を認めてくれる人たちの元へ。








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